2013年5月19日日本漢方協会学術発表(慶応大学)

2013年5月19日日本漢方協会学術発表(慶応大学)

漢方トピックス 「畑の生薬」

平成25年度・日漢協漢方総合講座(第23回)慶応大学薬学部・芝共立キャンパス2号館〈港区芝公園1-5-30〉 平成25年5月19日午後2時30分〜3時50分(80分)

はじめに

梅の花がほころぶころに当帰加工の作業が始まる。無農薬、有機肥料の当帰作りを本格的に始めて今年で10年目になる。過去9年間の当帰のエキス含量は、平成16年43.6%、17年40%、18年36%、19年52.2%、20年46.5%。21年35.6%、22年41%、23年46%、24年苗が不作により収穫なし。(局法規格値35.0%以上)であった。少し遡り、時は1994年。田畑隆一郎先生友人である東京西麻布、松伯堂医院の中村篤彦先生を紹介して頂いたことが、畑仕事の始まりで、薬局から車で30分のところに薬草園を始めていた。中村先生ご夫妻には大変お世話になり今でも当時のことは大変懐かしく思えてならない。当時は、畑仕事週1-2回、仕事は2時間位なもので、畑を耕しているなどと偉そうにも言えないが、その中で畑から学んだ漢方医学をお話しさせていただければ幸いである。

当帰

2月末の朝5時は、音も光もない暗闇の世界。仕事は、ガスストーブに火をつけることから始まり、お茶をすすりながらミーテイングをして少しずつ身体を温めていく。眼下に広がる畑は少しずつ色が染まり始め、そびえたつ富士山の雪の白さが初めに浮き上がる。静岡といえども、冬の寒さはお腹に来るときが多く、「手足厥寒し、脈細にして絶せんと欲する。若し其の人、内に久寒ある者は、・・」の当帰四逆加呉茱萸生姜湯のお世話になることが多い。

この薬方は傷寒論太陽病篇「汗出で悪風」の桂枝湯に、当帰・細辛・呉茱萸・木通が加えたもので、本方の脈細は、外気の寒さから身を守るために血管を縮めたための`細`で、厥陰病篇に顔を出し、「手足厥逆し、脈微にして絶せんと欲し、」の通脈四逆湯と鑑別が必要である。また、少陽病虚証に位置するため、陽明病の入り口のわずかな逆(背微悪寒)の薬方「脈滑にして逆する」の白虎湯と比較している。白虎湯の`身重く`は、当帰四逆加呉茱萸生姜湯の疲れよりは遥かに軽い。当帰を主薬に置き、桂枝湯で外気からの寒さを防ぎ、桂枝湯中の大棗を倍量させることにより表に縮む血分を滋潤して順通下降させ、木通は当帰、桂枝、細辛と水血を緩め温めて利尿し厥寒を治す。また、呉茱萸は生姜とペアーを組み脾胃の気と水を温散下降し水の動揺逆行を和し`内に久しく寒あるもの`を治す。貧血気味の顔色で、頭痛持ち、冷えてお腹が痛み、しもやけになりやすい、腰痛があり、足の付け根が突っ張り、南国の果物や甘物が好物な方を目標に私は処方を決定する。また、寒い季節では服用して2-3日で体が温まるといわれることが多い。名の知れた登山家のお客様に、遭難しかかったときに奥様が飲んでいた本方を服用し凍傷にならずにすんだと感謝された。運動不足で甘いもの好きな現代人の体内は余分な水分でいっぱいであり、水は体内をよく冷やし、体外はエヤコンでよく冷やされる。まさに、婦人科の病気を作りやすい環境であり、当帰四逆加呉茱萸生姜湯の出番が増えている。煎じ薬は水で煎じるが、本方は、原典に従って水と清酒を半分ずつで煎じると、よりからだが温まりやすいといわれることが多い。味の賛否は分かれるが、不妊症の方は妊娠の為にできるだけ頑張っていただいている。銘柄をよく聞かれるが、どれでも良いが、「辛口はよく散じ、甘口は中に居て緩やかで」と答え、甘口か、辛口でと言っている。酒煎する方は、栝楼薤白白酒湯、栝楼薤白半夏湯、炙甘草湯、芎帰膠艾湯がある。

セリ科の多年草の根。無農薬、有機栽培を試みている不妊症の主力生薬。子供ができない婦人が、実家に帰り当帰を飲んで温まって、再び夫の所に帰ると子供ができたことから、「当に夫に帰る」という意味より付けられたと言う。媚薬、解毒、強心剤としての強い効果が天使(angelus)の力に例えられAngelicaと言う。当帰の最高級品は、大深当帰(おおぶかとうき)と言い、馬の尾のような根っこをしている。味は、甘くて、後に辛い。2月に、42℃のお湯で当帰の湯もみ(漢方の修治)をする。整え乾燥させた姿は、まさに女性の横座りに似ている。これも婦人病に効く理由であろうか。当帰の効能は、血を温め巡らす。血を和し、寒を散じる。

中略

柴胡

有機肥料は近くの牧場の牛糞を中心に、そこに、落ち葉ともみ殻、おからなどを混ぜて作る。初めは、”青緑の生糞”であるため、アンモニア臭が、鼻に突き刺さる。堆肥小屋に運ばれた生糞は、光と水と空気によって発酵され、熱を発する。寒い朝に堆肥から湯気が立ち上る。私たちの体内にある堆肥置場(大腸)が、活発に働いていないと冷え症になってしまうのもよくわかる。牛生糞は、半年もすればなかなか良い堆肥になる。梅雨の前に1回花の開く前にもう1回堆肥をあげると柴胡はとてもよく成長した。今でも、この牛糞運びが、私の人生の肥しとなっている。

3月、春の彼岸を過ぎてから、ミシマサイコ発祥の地静岡の畑に柴胡の種を蒔いた。畝幅60㎝であったと記憶している。畝の上を板を使って平らにし、棒で筋を引き、種を握り少しずつ蒔いていく。30坪も無い小さな畑ではあったが私にとって記念すべき生薬栽培のスタートであった。震えるぐらいの喜びがこみあがってきたのもつかの間、2週間、3週間が経ちなかなか芽が出ない。その間雑草の勢いもよく、柴胡の発芽を見たことのない私にとって、不安でいっぱいになった。先生から、「柴胡は、根元を見ればわかる」とヒントをいただき、1ヶ月後根元が赤紫の柴胡が2本の可愛らしい耳を出した。待ちに待った柴胡の発芽であった。余談ではあるが生命力の強い雑草は伸びるスピードが速い。そして誰よりも早く種をつけようと頑張る。そのために、畑では、太陽の光の争奪戦が始まる。実に単純明快、光をものにできたものだけが生き延びられるルールがそこにある。繊細な1年目の柴胡は、すぐに雑草にやられてしまう。よって、9月まではひたすら雑草抜きに追われる。また、自然は実に神秘的な面を持っている。カメレオンが、自分の色を変えて天敵から身を守ることは、周知の通りであるが、雑草も抜かれまいと技を使う。柴胡には柴胡に似た雑草が、芍薬においては、地面から吹き出す真っ赤な血の色の芽にも似せて、同じ様な雑草が周りを取り囲む。初めは偶然と思っていたが、そうではないようだ。私のような天の邪鬼は別だが、人間社会でも一般的に人気がある物がよく真似されるのも、人間も自然界の一部と感じてしまう。神秘的な面で付け加えるならば、柴胡畑の下の桔梗畑の収穫時の話であるが、肺熱を瀉す桔梗の根を水洗いした時に現れた真っ白な肌に横しわ、太い根が、途中で2本に枝分かれしたその姿はまるで、気管支そのもの。山の木に垂れ下がるアケビは、腎臓にうりふたつ。湯もみした当帰を整えて乾燥させると、まるで女性の横座りの姿、または血が流れるたくさんの血管にも見えてくる。5年かけ栽培した芍薬の根は、地面を走る動脈、静脈それとも筋肉か。3000年以上前に人間の五感で選ばれた生薬たちの形が、それが働く臓器と似ているのも摩訶不思議である。

4月から5月にかけて気温も上がり、畑は芍薬の花でにぎやかになる。依然として、成長が遅い柴胡を助けるために地上部の雑草を追い払う。雑草の勢いはまだそれほどではないが、気を緩めていると夏の時期に大変なことになる。枯れてしまう柴胡が出てくるのもこの時期だ。原因は土の中にある。雨が少ないこの時期、植物たちは水を求めて根をのばす。一見地上部の成長速度は微少であるが、目に見えない地下部は、激しい水の争奪戦の為、根と根の戦いが繰り広げられている。この時期の植物の動きを、病気の進行具合に置き換えると、「傷寒論」で言う、少陽病期に似ている。病気の進行が一見落ち着いたように微少に見えるが、実は中で進行しているのが少陽病期である。柴胡は、地上部は大きくなるが、その根は2年目の収穫時期であっても細く小さい。ましてや、1年目は大変細くより小さい。地面を掘ってみると、雑草の根がびっしり柴胡の根を取り巻いた。逆にこの時期雨が多いと根の成長が悪く、収穫量が減る。

セリ科の多年草の根。私が始めて薬草栽培に挑戦したのが柴胡である。最高級品は静岡県三島市周辺で採れる野生もので、「三島柴胡」といい、現在は流通していない。繊細な植物で、大変な思いをして育て上げたにもかかわらず、2年後の収穫量はごくわずかである。秋には可愛らしい黄色の花をつけ、私の気分をほのぼのさせてくれる。主成分はサイコサポニンで、精油成分を多く含むため収穫した葉っぱに火をつけると、めらめらとよく燃える。この精油が、人の肝臓を含む胸郭内に溜った汚れた油(コレステロール)を溶かし流してくれるのだろうか。効能は、「胸脇の気熱を和す」を言い、「胸脇苦満」のときに使用する。「傷寒論」では病邪の胸郭内での戦いが始まり、その結果胸が苦しくなる状態である。付随して、微熱、口の苦味、めまい、のどの乾き、などの症状も現れる。柴胡に甘草を組み合わせれば、現代人のストレス症状に効果を表し、気分を安らかにすることから、私は、生理前のイライラやエリートの方の不妊症に使用しよい結果が出ている。

中略

6月、一段と湿度が上がる時期。リウマチや神経痛の方にとっては、体調が悪くなり、漢方では体内の水毒を除く、「朮・附子」のペアーが活躍する。畑では、水を追い求めて伸びた細い根を梅雨が、一気に太らせる大切な時期となる。このころから、柴胡の地上部の成長が速くなる。雨にかまけて仕事をさぼるととんでもない事になる。少しの晴れ間を生かして畑に出るが、泥上の畑では、仕事効率が悪く、蚋も多く毒も強いため、目の上を刺されるとたちまち腫れあがる。医者である中村先生が「医者要らず」のアロエを良くぬってくれたことがとても懐かしく感じる。また、蜂や、蚋の毒は葛根湯で発散すると良い場合が多い。

8月、畑に降り注ぐ太陽の光は激しさを増してくる。「傷寒論」で言うセン語し、潮熱を発する陽明病の時期。夜明けが早くなるので朝は4時起き、涼しい時間を使い効率よく仕事をすることが大切で朝の畑ほど気持ち良い時はない。早起きして、汗をかき、ご飯を食べて店に出ると1日中声が大きくなる。腹の底から元気がでてくるから不思議だ。朝が早いから、寝るのも早くなる。「早寝、早起き、朝飯前」昔の人の健康法にウソはない。毎日続けたら、漢方薬も必要ない。これがほんとの「一に養生、二に薬」。さて、日照りの為水不足のニュースも聞かれるようになり、畑も暑さによって水分は蒸発してくる。生命は水がなければ生きられない。足を使って移動できない植物達は、1日でも早く降ってくれる雨を待つしかなく、いかに体内の水分を逃がさないように保てるかが大切だ。そのため油をため込む。柴胡のように根が短く、水脈までなかなか届かないと、何よりも天からの雨のみが便りだ。その為、たくさんの油を体内にためる。収穫した柴胡の葉に火をつけるとメラメラ勢いよく燃えることからもよくわかる。この蓄えられた多くの油は、柴胡剤として、胸郭内の臓器に働き、体の古い油の代謝に役立つのであろう。そして、この柴胡とよくペアーを組むのは、「オウゴン」である。「柴胡・オウゴン」は、胸脇苦満に働く。実は、この畑で、柴胡の翌年にオウゴンを栽培したのだが、種から植えた小金花の根は、非常によく成長した。まるで、柴胡からオウゴンの息の合ったリレーのようであった。また、柴胡と黄芩が一緒の畑でよく育ち、黄色の柴胡の花とオウゴンの赤紫の花は息の合った夫婦のように見えた。師がよく言われるが、漢方医学は、先ず感じることが大切である。それが正しい勉強だと。

芍薬

10月、彼岸から遅れること約20日。秋の匂いが畑を覆いはじめる。地面から、吹き出してくる雑草も勢いが衰え、畑に静けさが戻ってくる。畑の風景は、「傷寒論」でいう、「太陰病」になっていく。当帰の葉も少しずつ黄色になり、収穫の時期が近づく。既に地上部が枯れている芍薬も収穫の時期に入る。子供の腕ぐらいの太い根っこが乾燥生薬で400Kgほど出来たのを覚えている。以前に、収穫した芍薬を乾燥原料にするまでの奮闘記を漢方の臨床に書いたことがある。以下その一部を紹介させて頂く。

ボタン科の多年草の根。東邦大学小池教授に頂いた芍薬をむつごろう畑で育て2度収穫(5年目、10年目)することが出来た。加工中はペオニフロリンの匂いが鼻につくが、製品となった芍薬の香りはいつも私の緊張した肩の力を緩めてくれる。雑草がまだ賑わいださない春先に、地面から血が吹き出すごときに芽を出す芍薬。その効果は、筋肉の緊張を緩め、地面から吹きだす血の如き血の巡りを良くする。

良品「芍薬」の見極め方として 一色直太郎先生の和漢薬の良否鑑別法及調製方によれば、「冬に根をとって粗皮を去らず、日光にて乾燥したものを生乾と申します。所謂赤芍であって、太さ指のやうに能く肥つて硬く、外皮淡紅色を帯び内部白色を、呈せる長い棒状をなしてある味の苦く渋いものがよろしい。細いものや、短く折れたものや、内部の褐色に変じたもの及び虫食ひのあるものはいけませぬ。白芍と申すものは冬に根を採り直ちに粗皮を除いて、沸湯の中に投げ入れて煮沸すると、湯が黒色を呈するやうになります。それを引き揚げて乾燥したものでありますから効力は弱くなつてあります。」と言っている。

膠飴

膠飴は、畑の生薬ではないが畑の小屋で始めて作ったので書かせていただいた。飴は能く胃の気を助け、脾を和し、腸胃を寛にする。また血分を寛にするともあり、多く食べれば必ず歯を損じるとある。田畑先生にこの飴の大切さを教えていただき、先生自家製の飴のおかげで助けられたお客様は数知れない。飴作りは、もち米をふかし、その中に芽が出始めた大麦をよく混ぜる。鏡餅の大きさに固めて、お湯を引いた浴槽の上に一晩寝かせる。翌日もち米が糖化されておいしそうな飴の出来上がりである。実はここからが大変。糟と飴を遠心分離機にて分けるのだが、コップいっぱいの飴をとり出すのに半日を要した。しかもお風呂の温度が高すぎて糖化が進みすぎてすっぱい飴の出来上がり、初めての飴作りの失敗談である。余談では有るが、この飴作り以降、飴の魅力に取り付かれ、兄弟子の真岡の塚田先生からご紹介を受けた金沢の水あめを取り寄せたことがあった。さすが本場、もちの10倍はあろう粘りは、私の歯の中の詰め物をすべて剥がしてしまった。「多く食べれば必ず歯を損じる」を、身をもって理解した一幕であった。

 中略

 12月、収穫の後の芍薬畑はとても静かになる。まるで気が抜けた様だ。5年間畑の栄養をたっぷり吸い上げたからであろうか。あと、数ヶ月もすれば、再びその子供たちの赤い芽が出始める。また畑に生命力が満ち溢れてくる。寒さを乗り越えた2年目の柴胡は、根がしっかりしているので、比較的成長が早く、雑草抜きも楽であったと記憶している。初めてにしては大きく美しい柴胡ができた。19年後の今も、店先のショーウインドの中に虫に食われながらも堂々とその姿を留めている。いつまでも初心を忘れないためにここに飾っている。

まとめ

農作業をすることにより、自然のリズムが分かり、そのリズムが東洋医学の考えそのものと分かった。そして漢方の腕を磨くのは、自然を知り、人をよく観察することが大切であると感じている。そして何よりも漢方薬を使う側が、心身ともに元気であり自然体で、無理せず、無駄せず、継続していくことである。

(参考文献)

漢方フロンティア田畑隆一郎著源草社
漢方ルネサンス田畑隆一郎著源草社
傷寒論の謎田畑隆一郎著緑書房
薬徴田畑隆一郎著源草社
よくわかる金匱要略田畑隆一郎著源草社
漢方サインポスト田畑隆一郎著源草社
漢方 第三の医学田畑隆一郎著源草社
和漢薬の良否鑑別法及調製方一色直太郎著谷口書店
傷寒論講義奥田謙蔵著医道の日本社
症例実解漢方薬学小池一男・庄子昇・塚田健一京都廣川書店